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先日この蔵日記の中で触れましたが、今年は5月17日に仕込が終わり、6月2日に「甑倒し」のお祝いを行いました。「甑倒し」のお祝いが済むと、例年ならばこの時期6月下旬には「ろか」、「火入」の工程も終わり、あとは新酒の仕込が始まる10月までシーズンオフになります。今日のタイトル「皆造」とは醸造部門が関わる「火入」までの全ての工程が終わったことを指す言葉です。酒造りが出稼ぎの杜氏集団に支えられていた時代、無事造りが終了した事への安堵感と、冬の間会えなかった家族と再会できる喜びで、杜氏を始め蔵人たちはさぞかしうれしかったことだろうと思います。
ここに酒造りに対するプレッシャーがいかに大きかったかを、以前お世話になった杜氏から聞いた話をもとに紹介さていただきます。 昔(どれほど昔かは定かでありませんが)の杜氏は枕元にわらじを忍ばせて寝ていたそうです。勿論、夜中に麹の作業などで頻繁に起きて作業することがしばしばあるので、それに対応するためだったようですが、もうひとつの理由もあったようです。現代のように製造設備が衛生的でなく、微生物についての知識、技術が未熟だった頃には、酒が健全に醗酵しない「腐造」が起こることもしばしばで、一度腐造が起きると蔵全体に広がり、蔵が潰れることもあったようです。当然、杜氏は腐造の責任を逃れることはできません。だから夜中にいつでも逃げることができるように履物を枕元に忍ばせていたそうです。 ここでは、責任逃れという意味合いより、酒造りに対するプレッシャーがたいへん大きいものであったという意味で捉えてもらえるとありがたいです。酔鯨の酒造りにおいても「皆造」となるまでは、酒造りに対するプレッシャーは昔となんら変ることはありません。むしろ貯酒、瓶詰、出荷、出荷後のことまで厳しい管理を行うようになった現在の酒造りのほうがプレッシャーは大きくなっているのかもしれません。 お天気の日には造りに使用した道具類をよーく洗って熱湯殺菌、天日干して、次の造りが始まるまで保管します。 PR |