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【2025/02/02 06:58 】 |
蔵元便り 第10号(2013年5月)

 今回はお酒造りの工程のお話しからは少し離れて、「酔鯨の歴史と土居杜氏」と題しまして弊社の誕生から今日までを、またその発展を支えてきました土居杜氏についてご紹介したいと思います。弊社の誕生は昭和44年、前身の石野酒造を引き継ぎ高知市長浜の地に誕生しました。誕生からわずか44年、長い歴史を持つ蔵元が多いなかではまだまだ新米の酒蔵です。
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 前身の石野酒造は明治4年の創業です。世の中では維新の風が吹く時代よりこの地で酒造りに取り組んできました。戦前までは地域の造り酒屋として、また戦後の復興期は県内大手メーカーへの桶売りを中心として商売を続けてきました。残念ながら今は石野酒造はありませんが、お客様が地元ブランドとして売り出していた「初鰹」や「紅珊瑚」といった商品を今でも覚えていてくれることは嬉しい限りです。

 さて、酔鯨酒造へ生まれ変わって以降、親会社の旭食品の販売力にも助けられ、販路を高知県内さらには四国内へと広げていきました。桶売り中心から「酔鯨」ブランドの売り込みへ頑張っていましたが、昭和50年代に入ると清酒の消費量は頭打ちとなり、普通酒を中心とした販売では限界が見えてきました。弊社も将来が見えない厳しい時代でした。そんな中、地方蔵の吟醸酒への注目が集まり始め、弊社も普通酒を中心とした造りから吟醸酒造りへと切り替えていきました。この時大きく助けて頂いたのが東京の酒販店さんや地酒卸しさんでした。名も無き地方の酒蔵を東京の市場に引き出して頂いたことが今も酔鯨ブランドの基礎となっています。

 土居杜氏はちょうどその頃、昭和60年より杜氏として酔鯨の造りに関わりました。以来、今日まで27年間杜氏として頑張っています。土居杜氏の出身地は広島杜氏の発祥の地でもある広島県安芸津町です。18歳から酒造りに入り、夏は農家をしながら、冬は酒造りの修行と経験を積んできました。46歳で初めて杜氏となり弊蔵に入りました。蔵に入った当初は、勝手が分からない新しい環境で、当時ようやく広がり始めた吟醸造りを行なうという難題に取り組みます。困難な状況で、全く新しい試みに取り組んだ杜氏の心意気には頭が下がる思いです。
 実際、普通酒を中心とした造りから吟醸蔵への切り替えには様々な困難がありました。当時の吟醸酒造りは鑑評会に出品するお酒、わずかタンク2本のみでしたので、大量に吟醸酒を造る経験はありませんでした。杜氏を中心に試行錯誤を重ね「酔鯨の吟醸酒造り」が始まりました。
 高知県と広島県は地域的には離れていますが、酒造りにおいては強い関係があります。共通するのはどちらも軟水仕込みということです。高知は地形が急峻で、また雨が多いことから水質は超軟水です。より高品質のお酒造りが求められていた当時、広島杜氏が得意としていた軟水仕込みは必要な技術でした。一方、酒質は正反対で、広島の「濃醇甘口」に対し、高知は「淡麗辛口」です。

 基本は異なる酒質であっても、杜氏の技術と高知のお酒が出会うことで「酔鯨」の吟醸酒が生まれました。広島のお酒の特徴である「しっかりとした旨み」と高知のお酒の特徴である「キレの良い辛口」。このふたつを上手く生かして「旨みもありながら、キレの良いあと味」という酔鯨の吟醸酒の基本が出来上がりました。
 清酒においても食中酒という言葉が使われるようになり久しいですが、私たちが求めてきたものはまさにこの食中酒です。芳醇な旨みがお料理との相性を広げ、またキレの良いあと味は食を進めます。今後もこの「お料理を美味しく頂く為のお酒」を造っていきたいと思います。
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 さて、杜氏のお話に戻りまして。杜氏も今年で73歳となり、一年一年が勝負の年となってきました。蔵では数年前より、酔鯨の造りを伝承していく為に、杜氏の技術を学び、発展させてきました。杜氏と同じことをするのではなく、杜氏が作ってきた味を基本とし、それをさらに磨いていくことが目標です。すぐに出来ることではないですが、しっかりと技術力を高めてきました。今までの経験をどのようにお酒造りにいかしていくのか、これからも酔鯨の挑戦は続きます。

 次回はお酒造りの工程に戻りまして「もろみ管理」のお話を予定しています。

 

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【2013/05/23 19:24 】 | 蔵便り
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